「おいしさの感覚と笑いのツボ」のこと
僕は基本的に何でもおいしく食べることのできる人である。
自ら進んで食べないものは多いが、誰かから薦められたりもらったりしたものはほとんどおいしくおなかの中におさまっている。
つまりカウンターの寿司屋でなくとも、回っているお寿司屋さんで十分満足できるのだ。
そりゃほんとは高い方で食べたいけど。
「大将、三万くらいで適当に見繕ってくれや」
とかいいたいけど!
でも…まあ…いまはやめとくよ。
回る方で勘弁しとく。
サーモンは回る方にしかないしな!
あー、サーモンうめえええええええ~!!!!!!
話がそれた。
いいたいことは、僕は今の自分の「おいしさの感覚」に誇り(そこまでたいしたものじゃないけど)を持っているし、高いものやかなり品質のいいものしかおいしいと思えない人たちより幸せであろうと考えている。
だってそうじゃない?
同じすき家の牛丼でもおいしく感じるのがいいか、なんとも感じなかったり、まずく感じるほうがいいかっていったらおいしく感じたいよなぁ。
そうすれば、日常の中で幸せが増えそう。
だから、僕はもし自分より「おいしさの感覚」を感じる範囲が広い人がいたらうらやましいと素直に思う。
ただ…
一方で似たような話として「笑いのツボ」がある。
笑いのツボは浅い方がいいのだろうか?
それとも深い(この表現あってる?)方がいいのだろうか?
この場合だと僕の意見は異なってくる。
僕は深い方がいいと思う。
なぜかって?
うーん
うーーーん
zzz…
眠い!また今度.